転職のタイミングはいつ?20代の人生を生きる上で大切なこと
転職したいけどなかなかできない。
そもそも転職をするタイミングっていつなの?
そんな人のために伝えたい言葉がある。
誰にとっても転職って実はとても勇気がいることだ。
今までもそんなことをコラムに書いてみたけれど、今回は自分の経験に照らし合わせ、より具体的な例で、自分が考える言葉を数回にわたってお伝えしたい。
私が経験した転職のタイミング
1、<20代>仕事に求める事への心の変化
2、<30代>将来を考え始めた事による心の変化
1、仕事に求める事への心の変化
まず私は転職をする上で心の変化と転職タイミングがあった。
主にタイミングが3回あったのだが、1回目は21歳の頃。2回目は30歳、3回目は35歳だった。
私は高卒で就職をした。当時は大学に行くのは親に負担がかかるからと言って就職したが、実は遊びたかったのが理由だ。好きだった野球もたいして努力もしてないのに才能がなかったと高校までと決め、社会人になってお金をもらって土曜日は遊びに行き、日曜日は草野球をしながら貯金もせずのんきに地元で暮らしているような何もない10代であった。それからSGIを立ち上げる前までは転職を5回ほどしている。転職回数はまあまあ多い方だろう。そして、この時は会社を立ち上げることは想像もしていなかった。
SGIができるまでの過程にはもちろん色々なことがあった。仲間や大切な人との出会いや別れ、自分との葛藤だったり、家族の反対だったり、正直逃げたいことばかりだったような気がするが、 今となってはいい思い出だ。振り返ってみればいろいろな経験をする上で考え方が大きく変わろうとした時に転職をしたような気がする。
~刺激を求めた社会人3年目~
まず、最初の転職のきっかけとなった、21歳時の心の変化だが、それまで、私は岡山の実家の近くの製薬会社の工場で主に風邪薬やビタミン剤などの製造工程で働いていた。 約3年半ほど働き、何も変わらない日常に刺激を求め友人から誘われたビジネスにのっかりハマった結果、周りを巻き込み、最終的には見事に失敗した。そして私の周りから友達がいなくなった。
あっけなく誰もいなくなってしまったが、ただ何を思ったのか不思議と後悔はなかった。ビジネスにおいて成功する為に頑張っている行動が甲子園を目指してやっていた学生時代を思い出して楽しかったからだ。いいかどうかはわからないが、目標に向かって頑張る事が快感になってしまった。しかしこの時はやっている事が本当におままごとだったので、だから失敗したんだなということに10年くらいたってから気づいた。
私はこのころから仕事に「やりがい」を求めるようになり、やりがい軸で仕事を探すようになっていった。そうなってくると、田舎である地元で過ごすことに強い違和感を感じていた。当時の私には地元に魅力を見つける事がまったくできない。このままでは駄目だ、その感情を止める事は出来ず勢いで、製薬会社を辞めることにした。正直、会社に副業がバレて居づらくなったのもあったかもしれない。これが私にとって最初の転職だ。高校卒業してすぐ就職していたので、まだ世間というものをあまり知らなかったとはいえ、まあまあの泥沼であった。応援してくれる人なんて誰もいない。本当に0からのスタートだ。私は当時乗っていた軽自動車に荷物を積んで実家を飛び出した。
この時、21歳なりに理解したことは、「友人は友人であって、ビジネス相手ではない事。ビジネスを誘う時点で友達を辞める覚悟がないなら誘うべきでない事。なぜならはビジネスをする上で100%成功はない事。つまり誘った友人の何%かは必ず失敗するという事。失敗した友人は誘った私を極悪人と呼ぶ事。しかしビジネスではそれが当たり前である事。その覚悟がないから結果的に築いたものすべてを失うことになる事。」ということだ。当然、その時はそんな自覚なんて全くなかった。
~極貧生活から学んだこと~
当時の私はすべてを失ったと思っていたが、ありがたい事に地元から3人の後輩が着いてきてくれた。知り合いも一時的にアパートを貸してくれて、いきなり男4人暮らしが始まった。合言葉は「4人でいつかBIGになろう」であった。しかしそんな夢は程遠く、このときはとにかくお金がなかった。生活ができないので急いで仕事を探した。なぜなら後輩3人にご飯を食べさせないといけないからだ。私は初めて養うことを経験した。とにかく困っていたのがご飯で、基本はもやしと卵を醤油で炒めたものを米の上にかけて食べていた。1食4人分で200円以下くらいには抑えていた。たまに贅沢した豚キムチがとても美味しかった。最終的には私の財布の中身は10円玉2枚、1円玉が1枚で合計21円になっていたことは今でも忘れられない。
お金が無い時の転職活動は本当に選択肢がない、なぜなら入社日が待てないのだ。第一優先は明日にでも働けることだが、明日にでも働ける仕事がなかなかない。この時、営業の仕事で10日後に入社で内定をもらっていたが、目先の事しか見えてない私はなんと断ったのだ。明日からじゃないからだ。しかしこの後、コールセンターのアルバイトで働き始めたのが、断った14日後だったので、いかにお金がない状態で視野が狭いと冷静に物事が判断できない事がわかった。
なんとか就けたコールセンターの仕事だが、今ではもう存在すらしてないと思うが、約40万円の社会保険労務士になる為の教材を電話で売る仕事だった。倉庫で教材を見たことがあるが、ちょっとあやしい会社であり、辞めた10年後にオフィスの目の前を通ったことがあったが、既に無くなっていた。そこの社長が私の左斜め前にいつもいるのだが、金歯と金の時計が凄く輝いていたのを思い出した。昼食は社長を囲んで食事することが通例の職場で、社員さんは社長を神の様な扱いをしていた。社長の話は当時の私からすると全然面白くないのだが、みんな社長の話にバブルヘッドの様にうなずきながら笑っている。私も空気を読んで笑うようにしていたが、顔がひきつっていた記憶がある。それだけでなく、気になるのは先に入社している女の子達が順番にいなくなっていった。ここの会社の不思議なことがあったのだが、2週間に1人はアルバイトが入社する。だがその前に、なぜか他のアルバイトが急に来なくなる。それくらい人の入れ替わりが多い事と、やたら多い飲み会が多かった。ベテランの社員さんがよく2日酔いで出社していたのだが、私も初給料後に1回だけ行った事があるが、なかなか帰らしてくれない。アルバイトだが関係なく、しっかり5000円回収された。当時の私にとって、とてつもなくその5000円が痛かった。そして急にアルバイトがいなくなる理由がわかった。給料を払う前にクビにしていたのだ。私も2回目の給料を貰う前に突然クビになり、1回目以降、給料は払われることはなかった。世間は怖いなと思ったし、そんな会社には絶対にしないと今も心に誓っている。
この時、お金がないのでもう1つ仕事をすることにしていた、そちらはサービス業で、快くで雇ってもらうことができた。最初はアルバイトとして入り、数か月後にコールセンターがクビになったので正社員として新たな契約を交わしたのだが、お金が無くなるとロクなことが無い事に気付き、このころから、やりがいと収入はセットで物事を考え、特に収入に関してはとてもこだわるようになっっていった。ちなみにこのころ後輩たちは地元に帰っていき、本当の意味で0からのスタートになった。
~お金を求めてキャリアアップして手にしたものと失ったもの~
正社員として働いていた私は、すぐに部下を持つことになった。いわゆるアルバイトをまとめる人だが、ここで最初の壁がきた。ほぼ全員年上だった。当時は22歳、スタッフには40代~50代の方もいたので、とにかく困った。なぜなら、アルバイトスタッフの方が仕事が出来るし、知識があるからだ。気合いと情熱が最初は空回りしてしまい、辞めたいと申し出てくるスタッフが出ていた。何とかできないかと考えた結果、学生時代に経験していたことを活かすことにした。元々、中高と野球部のキャプテンをしていたが、私より走攻守において、上手かったり、能力が高いと思うチームメートは普通にいたので、決して上手くてキャプテンになったタイプではない事は理解していた。その経験から、決して上から目線で指示をしない事を徹底的に実践した。感情で起こる事はせず、部下に対しては話しかけやすい人を演じ、言わないといけない事は個人的に面と向かって話すようにし、部下に手柄を与える。これで不思議と組織の雰囲気はよくなることを知っていた。これは社会人でも通用する事に気付いた。
何故ならば職場やお客様の前では別に私が主役ではなくていい。組織として結果が出ればいいのである。しかも個人で成績を上げるよりもチームで成績を出す方が組織の評価が高い。このことを学生時代に知っていたことは凄くプラスだった。そして、サービス業あるあるだが、正社員になるととにかく役職がつくのが早い。私は23歳の時には昇格転勤で副店長になっていた。
この時になると収入も安定していたので、仕事が楽しかった。寝る時以外はほぼ仕事をしていた。睡眠時間も4~5時間程度だったが当時の私としては収入が上がっていったし、店長から月間予算だけ頂いて、あとは私のやりたいようにやらせてくれるし、目標は達成していたので、特に何も言われなかったので不満はなかった。
24歳の時には新店舗を目標通りに立ち上げる事もができ、晴れて店長になった。収入もさらに増えていき、それに比例するように仲間が増えていった。しかしこのころから崩壊が始まっていた。それは謙虚さが無くなっていたのだ。全部自分が正しいと思い、稼ぐことしか当た名の中になかった。そして、考え方の合わなかったり会社の利益に貢献できないスタッフは去ってもらうという考え方に変わっていたのだ。つまりお金に目がくらんで冷静な判断ができなくなっていた。
お金というものは本当に面白い、お金がいくらあってもそれを扱う人格が伴わなければ、性格が変わってしまうのだ。宝くじの高額当選者の70%が5年以内に破産するということもそういう事だろう。結局、歯車が狂いに狂ってその当時に本当に大事な物や人を失った。収入が急に上がった時ほど謙虚に過ごし、浪費に使わず自分に投資することがどれほど大切か身に染みて理解した。
これ以降は転勤で各地を転々としながら30歳になるまで働いていたが、収入だけでなくスタッフの事を真剣に考えるようになった。そして30歳になることで、新しい気持ちに芽生えていくようになっていった。
今回のお話しで伝えしたかった事、つまり20代の心の変化だが、人生設計は気持ちの変化ひとつで変わるので思い通りにいかない事の方が多い。人から教えてもらって学ぶより、失敗から学ぶことの方が成長できる。どんな環境でも楽しいか、そうでないかは自分次第の考え方や行動であること。つまり、興味がある事は失敗を恐れずチャレンジすればいいということだ。
★次回は「将来を考え始めた事による心の変化」をテーマにし30代の転職についてお話しをいたい。
株式会社SGI
代表取締役 高本佳明
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