推しがいる生活~私はあなたのことを一生忘れない~#江洲地みなみ

query_builder 2021/02/28
江洲地みなみ
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・推しがいる生活

 

今年の芥川賞を受賞した作品、宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』をもう読んだであろうか。この物語は主人公の推しが炎上していき、それをきっかけに主人公の生活も歯車が狂っていくというお話である。最初から吸引力の高い文章で、なおかつ女性らしい文体だ。ぜひ読んでみてほしい。


それとは別に最近『推し』という言葉をよく聞くようになった。それはおそらくアイドルの推してるメンバーから来た言葉なのだと推測するが、最近ではアニメや漫画、またはユーチューバー、歌い手、Vtubar、日常生活でさえ誰々は私の推しだから~と、『推し』という言葉が多用されている。


『推し』。その存在とは何なのであろうか。


私はその短い単語に火山で煮えるマグマのような熱い情熱が入っているように感じてしまう。

もちろん言葉のそのものの意味、その人を推している、応援しているという人を『推し』というのはわかっている。しかしその言葉だけでは足りないような気がするのだ。SNSなどを覗いてみると『推し』のために仕事をしていると呟いている人たちがいたりして、『推し』のためだけに仕事ができてしまうのだから、単に「応援している」だけでは済まされないような気がしてならない。


いったい現代人にとって、『推し』とは、どのような効果をもたらす人なのか。その人にとって『推し』は何なのか。宇佐美氏が作品の中で「推しは私の背骨だ」と表現した真相を探っていきたい。

 

まず、最近の現代人は『推し』に対するお金のかけ方が異常であることに気付いた。

少し前、鬼滅の刃という漫画が大ヒットして、鬼滅とコンビニがコラボした時期があった。毎日のように使っていた近所のコンビニに、ある日を境に行列ができるようになった。

普段からお昼時などにちょっとした行列ができて並ぶことはあったけれど、その日に限って全然前に進まないのである。いったい何が起きたのかレジのカウンターを覗いてみると、鬼滅のくじを何十枚と購入する人がいて、それで時間が掛かっていたのだと知った。

くじのあたりが出たら、出たランクによって違う商品がもらえる。その人はたくさんの商品が入った袋を両手に携えてコンビニを後にしていた。あんなに商品を入れたら荷物は重いだろうに、背中は折れるどころか逆に真っ直ぐ伸びていて、さながら戦い終わった戦士の背中のようであった。


私はその情熱を見たことがあるから、宇佐美氏が『推し』とは自分の背骨だと表現した言葉がすうっと理解できたのである。

 

コンビニの彼のように、他にも推しのグッズを何百個と購入する人がいる。普通、物は一つでいいのになぜ何百個と購入するのか。そこには購入者の熱いメッセージが込められている。どんなメッセージかと言うと、今後も推しが活躍できるように「ここにファンがいますよ」という主張なのである。企業側、作者へ「あなたの作ったキャラやキャラグッズはこんなに需要がありますよ」「ずっとずっと私はこのキャラを応援しますよ」という愛を伝えているのだ。


反対にもう出番がなくなった『推し』に対してもやはり何百個という推しグッズを購入する人がいる。それは親友を庇ってお亡くなりになった、あるいは使命をやり遂げて死んでいったかもしれない『推し』に対して勇姿を称えたものであり、「私はあなたのことを一生忘れない」というメッセージなのである。


つまり推しグッズを買うことで日常生活を『推し』に囲まれるメリットと、買うことによってそれを生み出した作者や、『推し』本人に強いメッセージを発せられるメリットがある。それが形となって表れたのが今の経済なのかもしれない。今や日本の経済を支えているのはいわゆるオタクと呼ばれる人たちなのである。

 

かく言う私のも『推し』がいる。『推し』のグッズを何個も購入したし、つらい時期を『推し』に支えてもらった一人である。

だからこそわかるのだが、『推し』は幻想上の生き物である。そこは何人たりとも侵入できない聖域に、『推し』が存在している。

つらい時期、なかなか人に自分の気持ちを共感してもらえなくとも、心の聖域にいる『推し』がずっと傍にいてくれる。もしかしたら人によってはその『推し』から暖かい言葉を貰うかもしれない。だから頑張れるのだ。だから『推し』のためにお金を稼いで貢ぐのである。

 

今、日本人は『推し』を求めている。それは一種の崇高なる宗教といってもいいのではないだろうか。イスラム教徒の人が日に何度もメッカを訪れるように、我々にも心に拠り所が必要なのかもれない。『推し』は自分にとって神様のような存在なのである。

きっと日々現実に打ちのめされて我々の心にはヒビが入ってしまったのだ。そのヒビを少しずつ直してくれるのが『推し』なのである。だから私たちは真っ直ぐに生きられる。背中が伸びる。まさに「推しとは私の背骨」なのである。

 

誰にだって守りたい、心の拠り所は必要だ。それに支えられて日常生活ができる。仕事ができる。『推し』はいつだって自分を応援してくれる存在なのである。


人材育成コンサルタント

江洲地みなみ





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